関東鉄道鉾田線

 

鉾田線を訪れたのは、昭和53年7月の1回のみで、それも乗車せず石岡機関区構内にて撮影しただけでした。

当時、戦前製気動車ばかりに目を向けており、このページ作成にあたってアルバムを開いてみると、戦後製は

キハ431を1枚撮影しただけでした。貧乏学生にとってフィルムは貴重で、あまり余裕が無かったのかもしれま

せん。機械式気動車は既に姿を消していましたが、あと2年早ければ、東横のキハが残っていたのにと残念です。

なお、キハ41000・42000払下車の詳細な番号履歴は、別のページで紹介していますので、ご参照下さい。


キハ411

国鉄キハ41000の払下車ですが、前面はHゴム支持の2枚窓に改造され、また客室窓は

アルミサッシ化されています。逸年は、同様の改造を受けたキハ412と固定編成を組んで

使用されました。キハ41000系が気動車のまま片運転台化されたのは、この2両以外に例

                が無いと思います。


キハ412


キハ411とキハ412の連結部

ホロは無く、何とも危なそうな貫通部分です。車掌さんは、ここを通って車内検札に回った

のでしょうが、一般乗客も、ここを渡ったのでしょうか・・?。一応転落防止の柵はありますが、

これは小田急から常総線に入線したキクハの影響があるような気がするのですが。連結器

                付近は、総括運転用ジャンパー線などで賑やかです。


キハ431

もとは加越能鉄道キハ125で、昭和32年東急車両製です。この時点では、まだ

                    雨ドイは取付けられていませんでした。


鹿島鉄道

<1回目の訪問>

関東鉄道分割後、鹿島鉄道を訪問したのは平成7年1月のことです。目当ては、やはり

戦前製のキハ601・602でしたが、この当時、既に戦前製気動車が営業運転していたのは

鹿島鉄道だけでした。車体がスェイバック(車体中央部のたるみ)した老体ながら、クーラー

を装備しており、まだしばらくは安泰かと思っていました。この頃には、フィルム消費にも

余裕が出来、撮影の範囲も広がってきました。

 


キハ431

 


キハ432

もと、加越能鉄道キハ126です。

 


キハ602

 

 


DD13 367

 

 


DD901

 


<2回目の訪問>

鹿島鉄道になってからの2度目の訪問は、平成13年9月のことです。相変わらず

お目当ては、キハ601・602でした。この時期には、気動車の塗装は復活色とでも

いう状態に塗られていました。

キハ431

鉾田線時代の写真と比較すると、雨ドイの他、妻面の番号標記の位置、おでこ部分の

塗り分け線、前照灯のシールドビームなどに差異が認められます。


キハ432


キハ601


キハ602


キハ714


KR−501


DD 902


入換機


スム1002 廃車体


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